それでもI will be…(308)

いよいよ受験シーズンがやってきます。
何人かの生徒は、時期が早い中学校の受験をすでに終えました。
そんなシーズンですので、ついついblogの内容も真面目なものになりがちです。
こんな時だからこそ逆に明るい関係ない話がいいのかなあと思いつつも、結局真面目な内容のものを書くのですが。

さて、今回は私が大学生の頃に学校に講演か何かで来ていた、名前も思い出せない著名人の言葉について書こうと思います。
普通、こういう話をする時にはその言葉がいかに素晴らしいものか、心に響いたものかをお伝えするものだと思うのですが、実は今回はその逆です。
びっくりするぐらい、その言葉が安っぽいものに感じたので今でもハッキリと覚えているんです。

「その手のひらは何のためにあるのか? 夢をつかむためにあるんだ!」

どうでしょうか?
中には将来の希望に満ちた、前向きで素晴らしい言葉だと思う方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、当時の私は、夢とはそんなに簡単につかめるものではない、成功した人に上から言われても説得力はない、と思ってしまいました。
我ながらひねくれた考え方だとも思うのですが、その意見は社会人になってからより強くなったように思います。
先ほどの言葉に何が足りないと感じるかと言えば、夢をつかむためには相応の努力が必要である、という部分が抜け落ちていると思うんですね。
その講演した人も、それに類することは話しておられたかもしれませんが、どうにも最後の締めに先ほどの言葉が出されたために軽い話に感じられてしまいました。
すると数年前、買い物中に流れていた有線放送の歌詞にはこんな言葉がありました。

「手のひらは険しい道を進むためにある。そうしたらいつかは必ず栄光をつかむ」
(著作権の関係もあるので、歌詞の意味が変わらないように少し変えましたが)

そのとおりだ、と思いました。
人生をよく道にたとえる人がいますが、本当に苦しく険しい努力の道ならば、2本の足だけで歩ききれるわけはないんです。
這いつくばって、両手も使いながらでも、少しずつ前へ進んでいくもののはずです。
きれいな両手を、夢をつかむことだけに使うなんでできるはずがありません。
まさに、その講演の時に足りないと思っていた言葉が歌われていたので、家に帰って調べて見ると、聞いたことのない歌手で、アニメとタイアップしている曲らしいのですが、そのアニメも聞き覚えがないものでした。
大学に呼ばれるような偉い先生の話よりも、目立って売れない中でもがんばって歌い続けている歌手の歌にこそ、苦労せずに得られる夢などない、という教えが含まれているように感じました。

受験生の皆さんも、今、受験を目前にして苦しいと思います。
でも、苦しいことそのものが、皆さんが手を抜かずに険しい道を歩いてきた何よりの証拠です。
これまでの自分を信じて、最後まで走りきってください。

ちなみに、この記事を書くにあたり、その歌手の方の現在を調べて見たのですが、2年間連続で日本武道館で単独ライブをするまでに活躍されていました。
かかる時間は人によってちがいますが、努力は何らかの形で実るものですね。

(五日市教室T)