それでもIwill be…(49)

090922.jpg卑弥呼といえば、歴史上の最も有名な人物のひとりだよね。
にもかかわらず、卑弥呼の治める邪馬台国がどこにあったのかということについては、いまだに論争が続いているのは、授業でも触れた通り。


大きくは、邪馬台国は奈良などにあったとする「畿内説」と、九州にあったであろうとする「九州説」に分けることができる。
こういった論争は江戸時代にはすでにあって、あの新井白石は邪馬台国=大和国を唱え、本居宣長は九州説を唱えたりもしているんだ。
さて、先日、この卑弥呼の墓ともいわれる奈良県桜井市の「箸墓(はしはか)古墳」に、二重の周濠(しゅうごう)跡が見つかった。
こうした大きな堀のようなものが、3世紀半ばに作られたとされる「箸墓古墳」から見つかったことから、この古墳がもしかしたら本当に卑弥呼のものかもしれないと考える学者もいるとのこと。
さて、皆さんはどう思いますか?
(己斐教室S)