畑のありんこ(138)

201004161132000.jpgブルーベリーに去年にもましてあきれるほどたくさんの蕾がついた。
ここのところの寒気であまり虫も飛んでいないので、人工授粉をしました。
メインのラビットアイ系の2本は開花時期がちょっとずれているうえ、ブルーベリーは花弁が大きく開かないので、少し花粉をとるのに難儀ですが、筆でちょんちょんと花粉をつけていきます。


豊産を願って…
品種名は忘れてしまった。
キャラウェイとホームベルだったかな…自信がない(笑)。
ハイブッシュ系は1本きりなので、やはりもう1本受粉用に追加しよう。
鉢植えなら何とかなるか。
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最近の寒さと日照不足で野菜が高値になっている。
農水省も規格外の野菜を出荷するよう農家に要請しているようです。
どうしても自然相手のものだからこういったことは起きてしまうのだろうけど、そういう可能性も視野に入れた農政、行政指導をしてほしいと感じます。
外国に何かあったら、食糧、入ってこんぞ。
うちでとれたものは少々虫が食っていても、曲がっていても、小さくても、ありがたく食べます。
実際に自分で育てた経験があれば、食物を作る大変さもわかる。
やはり小学校から高校までに、たとえば「農作業」とかの授業を継続的に取り入れて、早いうちに食糧をつくることの重要さ、大切さを教えることに目を向けさせるべきではないかと思うのです。
食べるものを作ってくれている人たちに対してわれわれ消費者は感謝しているか。
そういう気持ちを持つような指導を大人が(社会が)してないような気がする。
大人の側が、野菜なんて、スーパーに行けば売ってるよ、なんて感じの理解ではそもそも難しいと思うのです。
では社会が農業従事者に報いる経済構造になっているか。
どうだろう。
工業化を推し進めてきた日本が背負っている十字架はかない重いものに見えます。
耕作放棄地の増加、農業従事者(農業だけに限らず第一次産業従事者)の高齢化は確実に急速に進んでいます。
でも育てることの大変さ、だからこそ生まれる感謝の気持ち、自分を取り巻く自然への畏敬、自分も生き物のひとつでしかないんだという謙虚な思い…そういったものは、生きものとして自分の中にしっかりと持っておきたいと思うのです。
そう思ってブルーベリーの無数の花々をあらためて見ると、季節の到来や自然界の現象を神の御手によるものと感じた古人の精神性が少しわかったような気がしました。
神は風もて春の花を撫づ。
その見えざる手、ひとしく恩恵をたれたもう。
(五日市教室A)