気になるニュース第299回 「現在は学業の神様ですが……」

【問】

現在は学業の神様として菅原道真が祭られている大宰府ですが、設置された当時のもともとの役割とは何だったのでしょうか?

【答】

国外に対する外交と防衛

社会の歴史を学習した5・6年生にとっては、「大宰府」と言われると「菅原道真が藤原氏の陰謀で追放された場所」という印象が強いと思います。
ですが、それ以外にも大宰府は、皆さんが学習した歴史上の出来事に関連した施設だったのです。
飛鳥時代に中大兄皇子が百済とともに唐・新羅の連合軍と戦って敗れた白村江の戦いですが、この際に逃げ帰ってきた日本軍は急いで太宰府の近くに城や砦を築いて、敵軍の進行に備えました。

加えて、つい先日、福岡県では長さ約500メートルにも及ぶ長大な土塁が発掘されており、施設としての重要度が高いものであったことを示す結果になっています。
出土した土器の年代や、土塁を作る工法などが、その他の大宰府周辺の城などと同じであることから、それらの土塁が大宰府防衛のためのものであることはほぼ間違いないようです。
 
さらに、もう少し後の時代、平安時代には鴻臚館という外交および交易の施設が大宰府の近くに作られており、中国・朝鮮との交易が主であった古代~中世の日本にとって、九州北部というのは思っている以上に日本の要であったようですね。
塾のテキストには載っていませんが、鴻臚館は学校の教科書(小6上P39)には載っています。
受験生の皆さんは一度見ておいてもよいかもしれませんね。

(五日市教室T)