畑のありんこ(226)

2012020409300000.jpg季節の変わり目を「節分」という。
まさに季節を分けるとき。
したがって年に4回あることになりますが、主に冬から春への移り変わりが人々の中で大きかったことは想像に難くない。
季節の変わり目には「邪」が生まれる。
再生のときには、必ずそれまでの負を何らかのかたちで捨てざるを得ないからでしょう。
それが形を成したものが鬼。


豆をまいて邪を祓うのは室町時代あたりかららしいですが、原型は平安時代にさかのぼります。
大晦日に行っていた「追儺」と習合して今のようなかたちになっていたということです。
平安時代の辞書『和名類聚抄』によると、「おに」は「おん(隠)」で、姿の見えないモノを指すとあります。
撥音(ん)は奈良時代の書物には文字として表記されていません。文字として表れるのは室町時代頃からです。中学時代の古典の授業でも、「なめり」を「なんめり」と読め、と教わったなあ。
無表記を避ける意識からか、盆(ぼん)を「ぼに」、銭(ぜん)を「ぜに」と表記してカバーしたりしてもいたようです。
姿が見えないのが鬼。
今の鬼はもろ見えますね(笑)。
「鬼門」と言われる北東の方角を、艮(うしとら)とよびます。干支でいうと「丑」と「寅」の間、ということです。
鬼の角は牛から、牙と爪と虎皮のふんどしは虎からイメージされているらしい。
うちのちびちゃんの幼稚園でも豆まきでしたが、この鬼、毎年こわい。
大人でもびびるほどこわい。そこまでするかって感じ(笑)。
幼稚園大好きっ子なのに、この日だけは行きたくないっていうんだもん。
やはり号泣してた。
家に帰ると、玄関に豆がまいてありました。
いい1年になるといいね。
(五日市教室A)