【問】
1944年8月に、沖縄から長崎に向かっていた疎開船が米軍の潜水艦に撃沈され、多くの子どもをふくむ疎開者が犠牲になりました。この船の名前は何ですか。
【答】
対馬丸
1944年7月に日本はサイパンを米軍にうばわれ、米軍はここからB-29爆撃機を出撃させることが可能となりました。B-29は飛行距離が長く、これで米軍は北海道・東北北部を除く日本のほぼ全土を空襲できるようになりました。
日本政府は、この事態を受け、沖縄県知事に『本土決戦に備え、非戦闘員である老人や婦女、児童計10万人を本土または台湾へ疎開させよ』との命令を出しました。
対馬丸はこのための疎開船の一隻です。
沖縄から長崎に向かっていた対馬丸は、1944年8月22日夜、今地震が続くことで話題に上っている吐噶喇(トカラ)列島の悪石島沖で、米軍の潜水艦の雷撃をうけて沈められてしまいます。このとき乗っていた約1700人のうち、約1500名が命を落としています。犠牲者の多くは奄美大島などに漂着し、生存者の多くは吐噶喇列島の無人島や、救助に出動した漁船などに助けられています。生き残った児童はわずか59名で、児童のみの生存率はわずか7%とされています。
戦後80年の今年、天皇陛下、皇后陛下が戦没者の慰霊などのために各地を回られることになっています。
4月の硫黄島(東京都)訪問から始まり、6月には沖縄を訪問されました。対馬丸の疎開児童と引率者などの名が刻まれた慰霊碑「小桜の塔」に献花をされ、対馬丸記念館を視察されました。6月19・20日には広島を訪問され、9月には長崎を訪問されるご予定です。
(五日市教室A)